北京日本第二高等女学校1年
航空記念日にて
昭和15年、開戦へのカウントダウンが始まった頃、彼女は中国へ渡りました。
彼女の父はテストパイロット。新型の飛行機(主に戦闘機)が開発されると、誰よりも早く操縦し、性能をチェックするのが仕事です。
そんな父の仕事の派遣先である、北京空港に降り立った時、彼女は10才だったそうです。
戦争体験と言うと必ず悲惨な灰色のイメージが付きまといますが、当時を語る彼女の話は、乙女の淡いピンク色だったり、突き抜けた空の青だったり、これまで聞いたどんな話より色とりどりでした。
北京でのスケートの話。
憧れた兵隊さんの凛々しい七つボタン姿。
彼氏が検閲を逃れる為に女性の名で続けていた文通。
外人租界の様子や暮らしぶり。
とても、教科書では教えてはくれない話ばかり。
昭和20年、終戦間際。
仕事柄、日本の正確な状況をいち早く知った父の機転で中国を脱出。
その半年後、広島に原爆が落とされたのでした。
今、彼女は79才。この秋、64年ぶりに北京行きを決めたそうです。
この写真は当時の雑誌の表紙を飾った写真だそうで、北京に行く際持って行くつもりで、ボクにキズの修正をしてくれないかと持ち込まれたもの。
でもこの写真を見てると、このキズも、共に過ごした64年の月日があって、これはこれでいいんじゃないかな~なんて。
出発の際は気をつけて行ってきて下さいね!
高尾のおかぁちゃん!
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