2009/07/06

いつのまにか少女は


北京日本第二高等女学校1年 
航空記念日にて

昭和15年、開戦へのカウントダウンが始まった頃、彼女は中国へ渡りました。

彼女の父はテストパイロット。新型の飛行機(主に戦闘機)が開発されると、誰よりも早く操縦し、性能をチェックするのが仕事です。

そんな父の仕事の派遣先である、北京空港に降り立った時、彼女は10才だったそうです。


戦争体験と言うと必ず悲惨な灰色のイメージが付きまといますが、当時を語る彼女の話は、乙女の淡いピンク色だったり、突き抜けた空の青だったり、これまで聞いたどんな話より色とりどりでした。

北京でのスケートの話。
憧れた兵隊さんの凛々しい七つボタン姿。
彼氏が検閲を逃れる為に女性の名で続けていた文通。
外人租界の様子や暮らしぶり。

とても、教科書では教えてはくれない話ばかり。


昭和20年、終戦間際。
仕事柄、日本の正確な状況をいち早く知った父の機転で中国を脱出。
その半年後、広島に原爆が落とされたのでした。

今、彼女は79才。この秋、64年ぶりに北京行きを決めたそうです。

この写真は当時の雑誌の表紙を飾った写真だそうで、北京に行く際持って行くつもりで、ボクにキズの修正をしてくれないかと持ち込まれたもの。

でもこの写真を見てると、このキズも、共に過ごした64年の月日があって、これはこれでいいんじゃないかな~なんて。


出発の際は気をつけて行ってきて下さいね!

高尾のおかぁちゃん!

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